神経フィードバック

 日本語で話ができているのも防護服の拡張現実OSがサポートしてくれている結果だ。ぶっきらぼうな対応に感じるが、これも有事の際に誤解を産まないためか。生命がかかった機器だけに細かいところまで実に良くできている。

「汚染地域まではもう少しだ。これから上り坂が続く」

「ありがとう」

「もう一度確認するが大丈夫か? 気分が悪いなら戻る」

 農場の視察に出たのは私と、この主任の二人きりだ。黒川さんがあんなことになったのはこの防護服のせいだと思っているらしく、十分とあけずに私の体調を気遣きづかってくれる。

 黒川さんの、あれは事故だ。あれだけ拡張現実を使いこなしている黒川さんなのだから注意すべきだったとも、予想できなかったともいえる。とにかく不幸な事故だ。拡張現実を肉体にフィードバックするサイバネティクス処置が深層まで及んでいたため、防護服が送り込む膨大なデータに過剰反応してしまったのだ。俗に「酔う」と言われる症状だがあそこまでの劇症は初めて見た。私のように聴覚フィードバックだけを受け取る程度のサイバネティクス処置ならば、気を失ったり痙攣したりするほどのことはまず起こらない。

Gene Mapper -core- 第六章より

『Gene Mapper -core-(セルフパブリッシュ版)』と早川書房から出版した『Gene Mapper -full build-』で若干説明している内容に違いがあるが、Gene Mapper世界ではアバターの姿勢を制御するために神経フィードバック・チップを埋め込んでいるという設定にしている。一般人ならば両手首、両足首、両内耳と喉の7カ所だ。チップはカプセルに封入され、人体通信(HMC)で神経網を通さない相互通信を行い、肉体の姿勢を拡張現実の処理装置に伝える(本作では具体的に記述していないが、コンタクトレンズと耳のチップに集約される)。体外に露出するジャックや脊髄などへの手術のような浸食性の高い方法ではなく、注射器で封入できるようなカプセルを使うことを考えたのはアップグレードが必要だろう、と考えたためだ。

そんな神経の状態を伝達する技術がふたつ、DARPA(国防高等研究計画局)のWebサイトで公開された。
Targeted muscle re-innervation (TMR)特定の筋肉を動かす神経を義肢と再接続し、失われた腕と同じように義手を動かしている。

Flat interface nerve electrode (FINE) は触覚のフィードバックを行う技術だ。

いずれも、元になるのはRE-NET(Reliable Neural-Interface Technology )というプログラムでDARPAの支援の元に開発が進められているのだが、正直なところ、ここまで神経による制御ができているとは思っていなかった。骨格筋程度ならば、全身のデータを読めるようなセンサーはもう数年もあればできあがってしまうんじゃないだろうか。

神経に直接接続するような大げさなセンサーの埋め込み手術には抵抗のある人も多いだろうけど、マウスやキーボードを不要にできる程度のジェスチャーを可能にするようなカプセル型のチップや装身具として身につけるブレスレットならば、埋め込みたい人はいるかもしれない。Gene Mapperで描いた拡張現実ワークスペースはそんな段階を経た後に現れてくるインターフェイスとして描いているのだけど、実現するのはどうやら私の予想よりも数年は早まりそうだ。

天然の蒸留植物

 二〇一六年の東アジア飢饉ききんを引き起こした奴だ。この病気に耐性のない旧来レガシーのイネ科作物の種苗しゅびょうは飢饉の年に商取引禁止となり、二年後には多くの国でディスコンになっている。虫が媒介するような病気ならば退治して事なきを得たのだろうが、イネ赤錆病は鳥類が媒介していた。血の通った可愛らしい野生の生き物を抹殺する手段は検討すらされなかったという。

 実を結ばず枯れていくイネにとって代わったのが蒸留作物だ。L&Bのような酒造メーカーが醸造アルコールの原料として開発していたGMO遺伝子組み換えイネの多くは、人が食さないのをいいことに極端なコードの変更がなされていた。誰がやったか今となってはわからないが、出回っていたテンプレートの多くで赤錆病の受容体を発現するチャンクも削りとられていたのだ。これらを徹底的に調べ上げ、人間が食べられるようにコードを「蒸留Distilled」した第一世代の蒸留イネは、赤錆病への耐性を持っていただけでなく、日本を含む温帯でも四毛作が可能となり……

「Gene Mapper -core-」第一章より

「Gene Mapper」には「蒸留作物」と呼ばれる作物が登場する。DNAの不要な部分を人為的に削除し尽くし、すべての遺伝子が管理下に置かれた人工的な植物だ。作中では削除された不要な部分を、俗にジャンクDNAと呼ばれる、タンパク質がコードされていない部分であるかのように物語では語られている。ジャンクDNAと呼ばれているDNAの役割がまだ不明であることは承知の上での設定だ。そのつもりだった。

ところが、今日『Gene Mapper -full build-』の表紙イラストレーションを作成していただいたRey.Horiさんが驚くようなニュースを教えてくれた。この「ジャンク」DNAを捨てている植物が見つかったというのだ。

Carnivorous Plant Throws Out ‘Junk’ DNA

 

その植物はタヌキモ属の食虫植物Utricularia gibba、単細胞生物や極端な環境に生息する珪藻類などではない。かなり特殊な生態を持つとはいえ、普通と言っていい植物だ。

発表によるとUtricularia gibbaに含まれる8千万塩基対のDNAの97%がタンパク質をコードしているという。

多くの生物で80%ほどを占める「ジャンク」——non-coded DNAは何らかの役割を果たしているとして研究対象となっているが、そのほとんどを持たないUtricularia gibbaのDNAの解析結果は何を意味するのだろう。

やはり「ジャンク」はジャンクであり不要なのだろうか。それとも、ほかの生物とは異なる方法でnon-coded DNAの機能を補っているのだろうか。続く発表や追試の結果を追いかけてみたい。